Yearly Archives: 2013

リポート:「日本プログラム」『屠場を巡る恋文』/『ある精肉店のはなし』上映、質疑応答

於:フォーラム4 2013年10月15日(火)

 

映画祭第6日目、「日本プログラム」の一環として屠場を舞台とする2つのドキュメンタリー映画が連続上映された。以下に、筆者の所見を交えつつその2作品を紹介するとともに、上映後に行われた監督を迎えての質疑応答の様子をもお伝えする。

 

『屠場を巡る恋文』(久保田智咲監督)

『屠場を巡る恋文』は、久保田智咲氏が武蔵野美術大学の卒業制作として撮り上げた33分の作品だ。かねて動物愛護運動に関心のあった久保田氏は、それを取材するうちにベジタリアンの存在を知り彼らに共感を抱く。しかし自身はなかなか肉を食するのをやめることができず、そんな自分の足下を見つめ直そうと、この映画を撮った。

作品は2つの屠場に取材している。東京都中央卸売市場食肉市場(芝浦と場)と千葉県食肉公社だ。前者では全芝浦屠場労働組合書記長の栃木裕氏にインタヴューする様子や「お肉の情報館」(芝浦と場内にある施設で芝浦と場の歴史や屠畜の手順、日本における屠畜従事者への差別などについて一般向けに紹介している)の様子を、後者では機械化・ライン化された屠畜の様子、従業員へのインタヴューの様子を撮影している。こうして得られた映像に、芝浦と場に寄せられた差別的な手紙文の映像などを挟みこみ、全体としては屠畜・屠場にまつわる「差別」のあり様とこれに相対する従業員の心情を浮き彫りにしようとする。タイトルの「恋文」という言葉には、上記のような手紙文に露骨に現われるような「憎しみ」ではなく「愛」をもって屠場の従業員たちと向かい合いたいという久保田氏の想いがこめられているのだろう。

卒業制作というだけあってこの作品にはまだまだ粗が目立つ。まず、芝浦と千葉のどちらの屠場の話をしているのかが途中からよく分からなくなる。そもそも芝浦の屠場と千葉の屠場、そしてそこで働く人々にはそれぞれに独自の歴史・事情があるはずで、編集の結果、そのすべてを差別問題に回収させてしまうのではせっかくの映像素材が活きないのではないか。また、千葉の食肉センターの様子についても、工程の順序を踏まえずバラバラに提示するのでは「屠畜」というものの全体像が見えてこないのではないか。監督自身によって頻繁に施されるナレーション解説も映像それ自体の魅力を損ねてしまってはいないだろうか。

とはいえ、若さゆえのフットワークの軽さと体当たり取材が奏功しているのもまた事実である。結果的に『屠場を巡る恋文』というドキュメンタリーは、めったに人目に触れることのない屠場という場所とそこに生きる人々の様子の一端をカメラに収めることに成功したわけである。

 

『ある精肉店のはなし』(纐纈あや監督)

『屠場を巡る恋文』が「勢い」の作品だとすれば、纐纈あや監督の108分の作品、『ある精肉店のはなし』は「粘り」の作品だといえよう。大阪府貝塚市には北出家の長女、長男夫婦、次男の4人が共同で営む精肉店がある。牛の肥育から解体・精肉・販売までを一店ですべて行うこの北出精肉店の様子を撮影させてもらうために、纐纈氏は半年ものあいだ貝塚市に通ったという。撮影それ自体にも1年という歳月がかけられている。

屠畜・解体という熟練が必要とされる行為に纐纈氏が魅了されているのは明らかだ。この映画は、特殊なハンマーで牛の額を打って気絶させ、籐を額から脊髄に差し込んで動きを封じ、頸動脈を切って放血し、皮を剥き、内臓を出し、胴をノコギリで割り、とまるまる一頭の牛を家族数人がかりで解体し、部位ごとに整形し、パッキングし、肉として店や車で販売するまでの様子を映し出す。

このような見事な「職人技」の描写は、ジョルジュ・フランジュが1940年代のパリの屠場に取材したモノクロの短篇ドキュメンタリー『獣の血』(1949年)における牛の解体シークェンスを思い起こさせる。しかし、『ある精肉店のはなし』では、北出氏(長男)の「息遣い」と彼が走らせるナイフが肉を裂く際に発せられる「音」がよく捉えられている。これはフランジュの時代の録音技術が果たしえなかったことで、それによってこの作品の屠畜シークェンスは独特のリズムを獲得している。

纐纈氏は屠畜をショッキングなものとして前面化することは周到に避けているように思われる。この作品は北出家の次男が少し離れた厩舎から屠畜場まで牛の手綱を引いて歩く場面から始まる。屠畜の結果生じた脂が石鹸の材料として利用されることにナレーションが言及し、カメラは剥かれたばかりの牛の皮を太鼓の革に加工する次男の様子までをも丹念に追いかける。また、北出家が「被差別部落」と呼ばれる場所で江戸時代末期から屠畜業を営んできた経緯が解説され、三兄弟の口からも直接、彼らの父の思い出が語られる。つまり、『ある精肉店のはなし』は北出家の長きにわたる営為全体を参照するなかで、彼らが行う屠畜のみならず、それにまつわる社会背景までをあぶり出そうとするのである。

長い時間をかけて被写体と纐纈氏の間に築かれた信頼関係が、北出精肉店で行われる最後の屠畜という貴重な瞬間に観客を立ち会わせる。

 

質疑応答

2作品の上映後、久保田、纐纈両氏から一言ずつあいさつがあった。久保田氏は纐纈氏の作品を観て、自分が取材したシステマティックな大規模屠場と牛の肥育から始める北出精肉店の違いについて、そして両作品における屠畜従事者の動物供養に対する態度の違いについて気付いたと言及した。纐纈氏は屠畜という差別問題を含むテーマに取り組む際の責任感について、またそれをどう可視化するかという問題について、北出家への感謝を交えつつ語った。

その後、満員の会場から意見や質問が多数よせられた。ある発言者は両作品が映し出した一見目をそむけたくなるような屠畜描写にかえって引き込まれたと感想を述べた。『屠場を巡る恋文』に対しては、インタヴュー映像の映るパソコン画面を見ている監督自身の姿を撮ったのは何故かとの質問がよせられ、それに久保田氏は、ただインタヴューして人の話を聞くだけではだめだと思ったからだと、取材対象に対するメタレベルの視点の重要性を語った。『ある精肉店のはなし』には、屠畜に携わる人々への差別についてよく勉強しているとの指摘があった。これに対して纐纈氏は、知識を得ることに意味がなくはないが、自分は北出家の人々の口からもれ出る彼らの歴史に焦点を絞ったと応じた。

日本では屠畜従事者に対する(とりわけこの仕事に携わる「被差別部落」出身者に対する)「差別」の問題を抜きにして屠場(屠畜場)について語ることは難しい。そのような差別が今なお存在する以上、屠畜の様子を映像に収めることがいかに困難であるかは容易に想像がつくだろう。管見の限り、屠場を主たるテーマとして日本で製作されたドキュメンタリー映画は『人間の街 大阪被差別部落』(小池征人監督、1986年)と『にくのひと』(満若勇咲監督、2009年)しかない(しかも両者ともなかなか観ることができない)。すでにそのこと自体が、屠畜の表象をめぐる日本の状況を雄弁に物語るのである。だから、この度の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、屠畜を主題として扱う映画が2本、同じ日に同じスクリーンで続けて上映されたことをまず喜びたい。

ところで、『屠畜を巡る恋文』と『ある精肉店のはなし』にはただの偶然とは思えぬ共通点があるように見える。ともに監督は若い女性であり、彼女らが自らの声で語り出すところから作品が始まる。つまり、どちらの監督も一人称的視点に立っており、屠畜従事者と向き合うなかで彼らに対して共感し(自らが直接彼らにインタヴューする様子を映し)、彼らに対する差別についてはその解消を願っていることを隠さない(どちらの作品でも「水平者宣言」が朗読される)。

これは、例えばフレデリック・ワイズマンの『肉』(1976年)、ニコラウス・ガイルハルターの『いのちの食べかた』(2003年)といった、ナレーションのまったくない、「観察映画」の系譜に位置付けられるような手法で(つまり対象からある程度距離をとって)大規模屠場を撮影したドキュメンタリーとは実に対照的なスタイルである。今後、日本のドキュメンタリーが屠場それ自体を撮影することを第一の目的とするところからもう一歩進んで多様性を獲得するためには、屠畜従事者に対する差別の問題を一度相対化し、また被写体と向き合う際のその向き合い方(撮影のスタイル)についても自覚するという手続きが求められるようになるのかもしれない。

※尚、上記2作品については『デイリーニュース』に掲載された両監督へのインタヴュー記事(3号:久保田智咲監督、5号:纐纈あや監督)をも合わせてご参照下さい。

取材・構成 岡田尚文

Where do you come from ? part5

10月16日

授賞式後の香味庵。多くの映画祭関係者や監督に混ざって、目を輝かせている若い学生を見つけました。
ふたりは東京の大学の同級生。はじめての山形映画祭はどのような体験だったのでしょうか?
気軽に感想を聞くつもりが、ヤマガタとの意外な縁や、作品の講評まで飛び出しました。
ドキュメンタリーの未来を担うふたりにインタビュー!


髙橋耕平さん(左)/水谷駿介さん(右)

Q:映画祭にくるのははじめてですか?

水谷:はじめてです。大学でジャーナリズムを専攻しているんですが、担当の教授からぜひ行け、とすすめられて。ほんとは授業があるんですけどね(笑)。

髙橋:ちゃんと来るのははじめてなんですけど…実は、僕は実家が山形なので、中学生の時に1回、高校の時に1回、親に連れられて映画をみにきたことはありました。だから3回目と言えるかもしれない(笑)。外から見ていて「盛り上がっているなあ」という感じはありましたし、ここ(香味庵)も友人の実家なので、「世界中の監督と話せるすごい空間があるんだよ」と何度も聞かされていました。

Q:へえ!実際に来てみて、いかがですか?

髙橋:すごい、本当に話せるんだなって。監督も関係者もお客さんも一緒になって、みな近い距離で談笑している。想像以上の空間でしたね。僕も拙い英語で監督に質問したりして。

Q:今回は何本ぐらい作品を観ましたか?

髙橋:14日から来たんですが、僕はコンペを中心に12本
水谷:5、6本ぐらいですかね。山形に来て、ドキュメンタリー映画ってこんなに多いんだって思いました(笑)。みたいと思うものが多すぎる。こんなに多いなら、(映画祭を)毎年やってくれればいいのに。

Q:その中で、特に印象に残った作品はありますか?

髙橋:僕の中では『殺人という行為』は頭ふたつ分ぐらい抜きん出ていました。作品の中で主人公たちが映画を作るんですが、そこで彼らは自分たちを正当化しているじゃないですか。監督はそのお手伝いをしながら、自分の映画にする時には展開を変えた。そこがすごい。善悪の基準を「べき論」では語れない映画ですね。

水谷:僕は『リヴィジョン/検証』ですかね。文字通り事件を検証するドキュメンタリーなんですけど、被疑者に音声をかぶせたりして、犯人が分からないように展開が変わって行くさまが面白かった。観る側に考えさせる映画でしたね。あとクリス・マルケルの作品は、とてもウィットに富んでいました!

Q:なかなか鋭い感想ですね。ぜひ、2年後も山形に来て下さい。

水谷:語彙が少なくて申しわけないですけど、ほんとうに「すごい、すごい」としか言いようがない体験の連続でした。これを機にもっともっとドキュメンタリー映画を観たいし、2年後もまた来ますよ!

取材・構成 佐藤 寛朗

『咲きこぼれる夏』 畑山知世

 浜辺で寄り添うふたりの男性、ドウョルとガブリエル。韓国人である彼らはともにHIV感染者で恋人同士でもある。ある日、この映画の監督の携帯に友人であるガブリエルから、恋人ができたとメールが入り、同棲するふたりを被写体にカメラが回りはじめる。

 HIVの進行により視力が著しく低下したため、ドゥヨルの行動はいつもおぼつかない。大晦日の夜、彼らの部屋の小さなテーブルの上のケーキには、0時ちょうどに吹き消そうと用意されたローソクが並ぶ。ドゥヨルはマッチを擦るが、視力が弱いためなかなかうまくいかず、だいたいのローソクに火がともったころには、すでに0時を超えていた。それらをドゥヨルが吹き消すと、何本ものマッチの燃えかすが床に落ちる。このシーンは、おそらく唯一、ガブリエルによって撮影されたものだ。

 そのガブリエルはといえば、家事全般をこなしているらしく、掃除をしたり、料理を作ったりする姿がひんぱんに映し出される。ドゥヨルがまちがって(もしくは店員に売りつけられて)買ってきた商品を返品に行ったりもする。彼はまるでドゥヨルの母親のようだ。

 ドゥヨルは若いころに金を稼ぐ目的で体を売り、男性とも関係を持った。21歳のとき、何気なく献血に行くとHIVに感染していることが判明、それを聞いた友人たちは皆、彼に冷たくあたった。この出来事のトラウマにとらわれた彼は、過去について、また自分の過ちへの後悔について、幾度となく同じような話を繰り返すという。

 彼らの家を訪ねると、ドゥヨルはいつも床でごろごろ寝ている。寝てばかりね、と女性である監督が笑ってカメラを向けると、彼ははにかむように起き上がり、へらへら笑いながら上の方をぼーっと眺めはじめた。何があるのかと視線の先をカメラも追うが、そこではただカーテンが揺れているだけ。そんな彼のことをガブリエルは受け入れようとし、トラウマから立ち直ってほしいと願うが、それゆえにもどかしさも募り、繰り返されるドゥヨルの過去の話に苛立ちを隠せない。
 
 口論や気持ちのすれ違いでドゥヨルは何度か荷物をまとめて出て行き、ひとりになったガブリエルはカメラの前で、この曲が好きなんだ、と『スロー・ダンシング』という曲を流す。そして「愛する人がいて、その人も僕のことを愛している、片思いじゃなく、そんな相手と踊りたい」とつぶやく。

 ベランダの床に座りこみ、外を眺めるドゥヨル。カメラは少し離れたところから彼を映す。窓の外には青空が見える。彼は監督に、人を愛したいと話す。そしてしばらくの沈黙の後、「どうしたらいい、よりよく生きるには?」と問いかけ、突然言葉をつまらせ唇をふるわせた。愛されたいガブリエル、愛したいドゥヨル。よりよく生きてほしいと願うガブリエル、そしてよりよく生きたいと願うドゥヨル。
 
 体調が回復し視力が少し戻るとき、青空を見上げることがドゥヨルの楽しみになる。今まで見えなかった空が少しでも見えるようになるから。するとカメラも彼と一緒に空を見上げるようになる。しかし視力の低下した彼の目に、カメラを通して見るような、はっきりとした青空が映るわけではないだろう。青空へ向かって羽ばたこうとする蝶。しかしガラスに遮られ外へ出ることができない。カメラの後ろでドゥヨルの声がする。もっと上へ行かなきゃ。

Where do you come from ? part4

今日も、昨日に引き続き映画祭メイン会場の山形市中央公民館(az6階)に来ています。
映画祭の表彰式会場で、ワクワクとドキドキの終着点になる場所。
表彰式が終わったところで、誰に話しかけようか。。。と、思っていたところ、映画祭ではなかなか見かけることのない、少年がいるではないですか!
というわけで、インタビュー。

Q: どちらからいらしたのですか?

A: 山形市です。言語ボランティアの母に連れて来られました。

 

Q: なるほど、連れて来られたのね。映画は観ましたか?

A: 観ました。1本だけだけど。「天からの贈り物 小林村の悲劇」を。

 

Q: 観たんだ、小さいのにすごいね!どうだった?

A: 日本の東日本大震災みたいでした。避難した人たちがとてもかわいそうだと思いました。

 

Q:そうだね、とても、かわいそうだったね。。。表彰式も見たと思うけど、他に観てみたい映画はあった?

A: はい。「我々のものではない世界」。やっぱり、一番(ロバート&フランシス・フラハティ賞)の作品だから。

 

Q: また、映画祭に来たいと思いますか?

A: 思います。また、来てみたいです。でも、学校があるからな~(汗)

 

こんな歳から映画祭に来てくれるとは!

聞けば、11才。お母さんは、羅興階(ルオ・シンジエ)監督(『天からの贈り物 小林村の悲劇』)のお友達だそうです。

こうやって、未来につながる映画祭になって欲しいな、と祈りつつレポートを終わります。

突然のインタビューに答えてくれてありがとう!
2015で待ってるよ!

取材・構成 野村 征宏

YIDFF 2013 Award Recipients Photo

NEWSFLASH!! YIDFF 2013 Award Recipients / 【速報】山形国際ドキュメンタリー映画祭 2013 受賞作品

山形国際ドキュメンタリー映画祭2013受賞作品
YIDFF 2013 Award Recipients

●インターナショナル・コンペティション
Prizes for the International Competition

審査員:足立正生、ラヴ・ディアス、ジャン=ピエール・リモザン、アミール・ムハマド、ドロテー・ヴェナー
Jurors: Adachi Masao, Lav Diaz, Jean-Pierre Limosin, Amir Muhammad, Dorothee Wenner

ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)
The Robert and Frances Flaherty Prize (The Grand Prize)

『我々のものではない世界』
監督:マハディ・フレフェル
パレスティナ、アラブ首長国連邦、イギリス/2012/アラビア語、英語/カラー、モノクロ/93分

A World Not Ours
Dir: Mahdi Fleifel
2012/ Palestine, UAE, UK

 

山形市長賞(最優秀賞)
The Mayor’s Prize (Prize of Excellence)

『殺人という行為』
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
デンマーク、インドネシア、ノルウェー、イギリス/2012/インドネシア語 /カラー/159分

The Act of Killing
Dir: Joshua Oppenheimer
2012/ Denmark, Indonesia, Norway, UK

 

優秀賞
Awards of Excellence

『リヴィジョン/検証』
監督:フィリップ・シェフナー
ドイツ/2012/ドイツ語、ルーマニア語/カラー/106分

『サンティアゴの扉』
監督:イグナシオ・アグエロ
チリ/2012/スペイン語/カラー/122分

Revision
Dir: Philip Scheffner
2012/ Germany

The Other Day
Dir: Ignacio Agüero
2012/ Chilie

 

特別賞
Special Prize

『蜘蛛の地』
監督:キム・ドンリョン、パク・ギョンテ
韓国/2013/韓国語/カラー/150分

Tour of Duty
Dir: Kim Dong-ryung, Park Kyoung-tae
2013/ Korea


●アジア千波万波
New Asian Currents Awards

審査員:フィリップ・チア、崟利子
Jurors: Philip Cheah, Takashi Toshiko

小川紳介賞
Ogawa Shinsuke Prize

『ブアさんのござ』
監督:ズーン ・モン・ トゥー
ヴェトナム/2011/ヴェトナム語/カラー/35分

Mrs. Bua’s Carpet
Dir: Duong Mong Thu
2011/ Vietnam

 

奨励賞
Awards of Excellence

『怒れる沿線:三谷(さんや)』
監督:陳彦楷(チャン・インカイ)、菜園村の人々
香港/2011/広東語/カラー/310分

『モーターラマ』
マレク・シャフィイ、ディアナ・サケブ
アフガニスタン/2012/ダリー語/モノクロ/60分

Raging Land 3: Three Valleys
Dir: Chan Yin Kai, Choi Yuen Villagers
2011/ Hong Kong

Mohtarama
Dir: Malek Shafi’i, Diana Saqeb
2012/ Afghanistan

 

特別賞
Special Mention

『戦争に抱(いだ)かれて』
監督:アッジャーニ・アルンパック
フィリピン/2013/フィリピン語、英語/カラー/51分

War Is a Tender Thing
Dir: Adjani Arumpac
2013/ The Philippines
 


●市民賞
Citizens’ Prizes

『パンク・シンドローム』
監督:ユッカ・カルッカイネン、J-P・パッシ
フィンランド、ノルウェー、スウェーデン/2012/フィンランド語/カラー/85分

『標的の村』
監督:三上智恵
日本/2013/日本語、英語/カラー、モノクロ/91分

The Punk Syndrome
Dir: Jukka Kärkkäinen, J-P Passi
2012/ Finland, Norway, Sweden

The Targeted Village
Dir: Mikami Chie
2013/ Japan

 


●コミュニティシネマ賞
Community Cinema Award

『何があったのか、知りたい(知ってほしい)』
監督:エラ・プリーセ、ヌ・ヴァ、トゥノル・ロ村の人々
カンボジア/2011/クメール語、英語/カラー/54分

We Want (U) to Know
Dir: Ella Pugliese, Nou Va, The people of Thnol Lok
2011/ Cambodia

 


●日本映画監督協会賞
Directors Guild of Japan Award

『標的の村』
監督:三上智恵
日本/2013/日本語、英語/カラー、モノクロ/91分

The Targeted Village
Dir: Mikami Chie
2013/ Japan

Special Mention

『愛しきトンド』
監督:ジュエル・マラナン
フィリピン/2012/フィリピン語/カラー/76分

Tondo, Beloved: To What Are the Poor Born?
Dir: Jewel Maranan
2012/ The Philippines

 


●スカパー! IDEHA賞
Sky Perfect IDEHA Prizes

『オトヲカル』
監督:村上賢司
日本/2013/8mm/36分

『うたうひと』
監督:酒井耕・濱口竜介
日本/2013/120分

Sound Hunting
Dir: Murakami Kenji / 2013/ Japan

Storytellers
Dir: Sakai Ko, Hamaguchi Ryusuke / 2013/ Japan

 
 
 

リポート:「6つの眼差しと〈倫理マシーン〉」

2013年10月14日(月)
於:山形美術館5(3F)

10月14日の午後、阿部マーク・ノーネス、斉藤綾子、ブライアン・ウィンストンの3氏をパネリストに迎えディスカッション「6つの眼差しと〈倫理マシーン〉」が開かれた。映画製作者と被写体との関係性を鋭く問う7作品(『ゆきゆきて、神軍』、『レイプ』、『キャットフィッシュ』、『北京陳常村の人々』、『被写体』、『戦う兵隊』、『糧なき土地』)の上映を踏まえての企画である。

ディスカッションでは、2時間半に渡って、ドキュメンタリー映画における6つの「世界に向かっていく眼差し」:①〈介入する眼差し〉、②〈人道的な眼差し〉、③〈プロフェッショナルな眼差し〉、④〈関係性の眼差し〉、⑤〈無力な眼差し〉、⑥〈危機にさらされた眼差し〉に関して――後半はフロアをも交えつつ――熱い議論が交わされた。会場で展開された議論の全てについてここで言及することはとうていできないが、以下にその一端をご紹介することとしよう。

出だしがなかなかスリリングであった。まず、この映画祭の特集プログラム・コーディネーターで司会でもある阿部マーク・ノーネス氏が、今回のテーマについてどう思うかを斉藤綾子氏(映画理論研究)に問うかたちで議論を始めようと試みた。しかし、斉藤氏は、そこでいわれている「マシーン」、「眼差し」の意味するところがよく分らない、と企画意図そのものについてノーネス氏に問い返す。

どうやら、カメラという記録マシーンを介して被写体に(引いては観客に)眼差しが向けられるとき、その眼差しの中に入り込むもの、それがノーネス氏の考える映画作家の「倫理」の出発点らしい。そしてそれ以前に、「マシーン」、「眼差し」といった言葉をかかげることで、この映画祭に集う観客にドキュメンタリーについて考えるきっかけをもってもらうことがノーネス氏の目的であったと。こうして、以降、より具体的な上記6つの視線(この区分は便宜上のものであろうが)に関するパネリストの考えがそれぞれ示され、議論は深められて(というよりは広げられて?)いった。

もう一人のパネリスト、著名な映画研究者でドキュメンタリー作家でもあるブライアン・ウィンストン氏は、自身の経験を踏まえつつ、また具体的な作品(例えば、飛び降り自殺者を撮影したエリック・スティールの『ブリッジ』)や事例を取り上げつつ、もっとも精力的に持論を展開した。氏はフロアとの対話を通じて、最終的には「誰のために」映画が作られているかが問題となる。映画作家には常に自分が一番得をするという「原罪」をもっていると自覚すべきである。ドキュメンタリーは常に人を傷つける可能性があり、そうである以上、インフォームド・コンセントなどを通じて人を傷つけないようにするのが我々の倫理である(しかしまったく人を不愉快にさせてはいけないというわけでもない)と結論した。

パネリストの見解に対し、フロアからも多数の意見がよせられた。「眼差し」という概念から映画製作者の倫理を考えることは果たして妥当なのか。むしろ「方向性がある関係性」の問題として(例えば映画製作における契約問題を通じて)捉えるべきではないのか。あるいは、映画製作者だけでなくコミッショナーや観客との間の複数の関係性を想定するべきではないのか。さらには、映画の「絵」は、「やらせ」によるものであってもそうでなくても「美しいもの」として提示されてしまうが、それについてどう考えるべきか等々。

これらフロアをも巻き込んで活発に交換された意見は、映画製作者の倫理は(製作者の)「言論の自由」、(被写体への)「インフォームド・コンセント」、(観客の)「知る権利」という3つの要素の絡まり合いのなかで再度、問われなければならない。映画作家の「権利」ではなく、まさにフロアから出た言葉である「関係性」が問題なのであるとのノーネス氏の言葉で結ばれた。

このディスカッションの冒頭、企画者である藤岡朝子氏は、趣旨説明をするなかで、いま――とりわけ2011年の「震災以後」――あらためて映画製作者の倫理が問われていると指摘した。例えば震災後の東北に取材した一連のドキュメンタリー作品において、映画製作者たちが「被災者」にカメラを向けるときに問われるであろうような「倫理」。二年後、YAMAGATAに集う世界のドキュメンタリストたちがこの問題についてどのような答えを出してくれるのか期待したい。

取材・構成 岡田尚文

SPUTNIK—YIDFF Reader 2013 掲載記事一覧

映画祭期間中、映画祭公式ガイド「SPUTNIK—YIDFF Reader 2013」に掲載された記事をご紹介します。
PDF形式ですが、随時掲載いたします!

お楽しみに!



  1. 山形国際ドキュメンタリー映画祭 2013へのメッセージ|王兵、呉文光、アピチャッポン・ウィーラセタクン
  2. 通じ合うことの奇跡!|藤岡朝子
  3. [審査員から]新しい方法とテーマを携えた強いエネルギーに出会いたい|足立正生監督に聞く
  4. [審査員から]現実を創り上げよう|ジャン =ピエール・リモザン
  5. [ヤマガタ、いくつかの視点 1]不可視の翳りへキャメラを向ける─ 再現するドキュメンタリー|阿部宏慈
  6. [ヤマガタ、いくつかの視点 2]演技が導いた「行為」の像 ─『殺人という行為』を見る|朝倉加葉子
  7. [監督からの声 1]参加型映画制作の挑戦 ─『何があったのか、知りたい(知ってほしい)』について|エラ・プリーセ
  8. [ヤマガタ、いくつかの視点 3]「家」を追われた人々の声 ─ 世界を読み直すためのドキュメンタリー|熊岡路矢
  9. [ヤマガタ、いくつかの視点 4]線の上に線を ─ 映画と境界|田中竜輔
  10. [監督からの声 2]中東という庭園に入れば、まだ花が満開とは言えないが…|アヴィ・モグラビ監督に聞く
  11. >>>「上演の映画」とメディア批判|赤坂太輔
  12. >>> アリシア先生の教え子 ─『100 人の子供たちが列車を待っている』と「こども映画教室」|土肥悦子
  13. >>>「鉄ちゃん」の秘かな楽しみ|佐藤寛朗
  14. [ヤマガタ、いくつかの視点 5]私を生きる─ セクシュアル・マイノリティを描く2 つの映画|江畠香希
  15. [ヤマガタ、いくつかの視点 6]遠い母の物語 ─ サラ・ポーリーの『物語る私たち』|安川有果
  16. [監督からの声 3]彼女たちはカメラの前で再び歩き始める─『蜘蛛の地』が映す現実と非現実|キム・ドンリョン監督に聞く
  17. [ヤマガタ、いくつかの視点 7]語る力と仮構力 ─ 酒井耕・濱口竜介監督の東北記録映画三部作|山根貞男
  18. >>> 山形、予備選考の思い|稲田隆紀
  19. >>> いまできる方法で映画を作る|崟利子
  20. >>> 香味庵の歴史|梅木壮一
  21. [東南アジア映画事情 1]ラヴ・ディアス ─ フィリピンの怪物的作家がいま、ヴェールを脱ぐ!|石坂健治
  22. [東南アジア映画事情 2]生まれ変わった東南アジア映画|フィリップ・チア
  23. [監督からの声 番外篇]監督と出演者、それぞれの視点 ─『YOUNG YAKUZA』仏公開当時の新聞記事より
  24. >>> ちょっと箸休め|奥山心一朗
  25. [もし異郷で撮るならば 1]東京のモスク|アミール・ムハマド
  26. [もし異郷で撮るならば 2]ブカレストの少年|ドリアン助川
  27. [クリス・マルケル特集に寄せて 1]時間の織り布 ─ クリス・マルケル讃|千葉文夫
  28. [クリス・マルケル特集に寄せて 2]クリス・マルケル ─ 映画殺しの映像作家|河合政之
  29. [それぞれの「アラブの春」]アラブ・メディアのジレンマ|ナジーブ・エルカシュ
  30. >>> それぞれの「アラブの春」キーワード集
  31. [ともにある Cinema with Us 2013 1]震災後、映し出されているものとの感触|小川直人氏に聞く
  32. [ともにある Cinema with Us 2013 2]ともに見る場所 ─ 「Cinema with Us 2013」に寄せて|三浦哲哉
  33. [やまがたと映画 1]「撮影機廻す音ひくく伝わりぬわが生きし日を記録する音」|清瀧章氏に聞く
  34. [やまがたと映画 2]フィルムは横向きに走った ─ 幻灯上映に寄せて|岡田秀則
  35. >>> 畏れの喪失 ─ 祭りと映画|斎藤健太
  36. [映画と倫理と批評と 1]映画と倫理 ─ ディスカッションのために|斉藤綾子
  37. [映画と倫理と批評と 2]映画祭と倫理|阿部マーク・ノーネス
  38. [映画と倫理と批評と 3]現実との接触点 ─ 批評と倫理|北小路隆志
  39. [映画と倫理と批評と 4]ドキュメンタリー映画批評は影より出ずる|クリス・フジワラ
  40. >>> 映画は今どこに? ─ 山形の「旭座」と南相馬の「朝日座」|吉田未和
  41. エディトリアル・謝辞 / Editorial・Thanks To

SPUTNIK—YIDFF Reader 2013 List of Articles

  1. Greetings to the YIDFF 2013 | Wang Bing, Wu Wenguang, Apichatpong Weerasethakul
  2. Miracle of Communication | Fujioka Asako
  3. [Jurors’ Voice] I Hope to Encounter the Powerful Energy of New Approaches and Themes | An Interview with Adachi Masao
  4. [Jurors’ Voice] Let’s Create Reality | Jean-Pierre Limosin
  5. [Perspectives on YIDFF 1] Turning the Camera on Opacity: Documentary that Recreates | Abe Koji
  6. >[Perspectives on YIDFF 2] Portrait of an Act Dramatically Revealed: Watching The Act of Killing | Asakura Kayoko
  7. [Directors’ Voices 1] We Want (U) to Know: The Challenge of Participatory Filmmaking | Ella Pugliese
  8. [Perspectives on YIDFF 3] Voices of Those Exiled from Their Homes: Documentaries for Reconsidering the World | Kumaoka Michiya
  9. [Perspectives on YIDFF 4] Lines upon Lines: Cinema and Borders | Tanaka Ryosuke
  10. [Directors’ Voices 2] When We Enter a Garden Called the Middle East, It’s Not Yet Full of Flowers … | An Interview with Avi Mograbi
  11. >>> “Cinema on Stage Performances” and Criticisms of Media | Akasaka Daisuke
  12. >>> Alicia’s Pupils: One Hundred Children Waiting for a Train and “Children Meet Cinema” | Dohi Etsuko
  13. >>> The Secret Pleasure of Trains | Sato Hiroaki
  14. [Perspectives on YIDFF 5] Living My Life: Two Films Portraying Sexual Minorities | Ebata Koki
  15. [Perspectives on YIDFF 6] Stories of a Distant Mother: Sarah Polley’s Stories We Tell | Yasukawa Yuka
  16. [Directors’ Voices 3] The Women Begin to Walk Before the Camera Once Again:Reality and Fantasy as Seen through Tour of Duty | An Interview with Kim Dong-ryung
  17. [Perspectives on YIDFF 7] The Power of Narration and the Drive Toward Fiction:Sakai Ko and Hamaguchi Ryusuke’s Tohoku Documentary Trilogy | Yamane Sadao
  18. >>> The Seleciton Process for Yamagata | Inada Takaki
  19. >>> Making Films with What I Know | Takashi Toshiko
  20. >>> The History of Komian | Umeki Soichi
  21. [Cinema in Southeast Asia, Now 1] Lav Diaz: Lifting the Veil on the Monster Filmmaker from the Philippines | Ishizaka Kenji
  22. [Cinema in Southeast Asia, Now 2] Southeast Asia: A Reinvented Cinema | Philip Cheah
  23. [Directors’ Voices extra] Clips from the French Newspapers on YOUNG YAKUZA
  24. >>> A Little Side Dish | Okuyama Shinichiro
  25. [Filming Far-Away Places 1] The Mosques of Tokyo | Amir Muhammad
  26. [Filming Far-Away Places 2] The Boy from Bucharest | Durian Sukegawa
  27. [Retrospective on Chris Marker 1] The Woven Fabric of Time: In Praise of Chris Marker | Chiba Fumio
  28. [Retrospective on Chris Marker 2] Chris Marker: A Moving Image Artist Who Kills Cinema | Kawai Masayuki
  29. [Another Side of the “Arab Spring”] The Dilemma of Arab Media | Najib El Khash
  30. >>> Keywords for “Another Side of the ‘Arab Spring’”
  31. [Cinema with Us 2013 1] I Chose Works that Had “Something” About Them | An Interview with Ogawa Naoto
  32. [Cinema with Us 2013 2] A Place for Watching Together: On “Cinema with Us 2013” | Miura Testsuya
  33. [Yamagata and Film 1] “To the Gentle Sound of the Movie Camera Turning, I Record Those Things that Give Meaning to My Life.” | An Interview with Kiyotaki Akira
  34. [Yamagata and Film 2] Film Running Sideways: On “Gentô” Screenings | Okada Hidenori
  35. >>> The Loss of Fear: Festivals and Film | Saito Kenta
  36. [Cinema, Ethics, and Critic 1] Cinema and Ethics: An Introduction | Saito Ayako
  37. [Cinema, Ethics, and Critic 2] Ethics and the Film Festival | Abé Mark Nornes
  38. [Cinema, Ethics, and Critic 3] Reality and its Contact Point: Criticism and Ethics | Kitakoji Takashi
  39. [Cinema, Ethics, and Critic 4] Documentary Film Criticism Out of the Shadow | Chris Fujiwara
  40. >>> Where is Cinema Today?: The Yamagata Asahiza and the Minamisoma Asahiza | Yoshida Miwa
  41. エディトリアル・謝辞 / Editorial・Thanks To

 

公式カタログ日本語表記の訂正 関連イベント・ドキュメンタリー映画から知る「アラブの春」

公式カタログに訂正がございます。
日本語表記127ページの関連イベント・ドキュメンタリー映画から知る「アラブの春」
【正】
上映作品:①「良いはずだった明日」
     ②「気乗りしない革命家」
【誤り】
上映作品:①「気乗りしない革命家」
     ②「良いはずだった明日」

【10月16日のインフォメーション/16th Octobar Information】

●映画祭公式ガイドブック「SPUTNIK—YIDFF Reader 2013」はご好評につき、会場での無料配布分の在庫がなくなりました。
The official guidebook of the film festival “SPUTNIK-YIDFF Reader 2013” is out of stock.
映画祭公式ガイド「SPUTNIK—YIDFF Reader 2013」の誌面はこちらからご覧になれます:http://www.yidff-live.info/?p=169
You can read “SPUTNIK-YIDFF Reader 2013” on this website :http://www.yidff-live.info/?p=169

●明日17時から表彰式をUstreamにて中継します。
We will broadcast a commendation ceremony (live, start from 17:00JST) on Ustream.

チャンネル1 http://www.ustream.tv/channel/ch1-yidff

Channel 1 http://www.ustream.tv/channel/ch1-yidff

Where do you come from ? part3

10月15日(火)

今日は映画祭メイン会場の山形市中央公民館(az6階)に来ています。
映画祭期間中、インターナショナルコンペティションを上映した会場ですが、明日16日には閉会式、そして注目の受賞作品の発表が控えている会場でもあります。
今からドキドキしちゃうよねー、と会場近くを歩いていると、発見、平日なのに映画を見に来る情熱を持っていそうな(?)女子大生(多分)!早速、声をかけてみましょう。

Q: どちらからいらしたのですか?
A東京からきました。はじめて来ました。

Q: いつ山形に到着したのですか?
A: 夜行バスで10日の朝に着きました。最後までいる予定です。

Q: どっぷり楽しめる日程ですね。どんな映画を観ましたか?
A:いろいろ見ましたが、 『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は印象的で、考えさせられるし、心を揺さぶられました。あと、『キャットフィッシュ』も。(作中で)フェイスブックとかを扱ってたのは、学校の授業でも扱ってる内容に通じたものがあって。今回も、学校の授業のフィールドワークで来てるんですよ。

Q:映画祭に来る授業なの?そんな授業うらやましい!
A: はい。今回のテーマにドキュメンタリー映画を見るものがあったのでとってみました。前期(4月~7月まで)は下調べをしたり、ドキュメンタリー映画をみて議論したりしてました。でも、もちろん、授業とかの映画ばっかり見てるわけではなくて、クリス・マルケルとかも見に行きました。

Q: クリス・マルケル。僕たち、今、そこの会場から来たんだけど、、、
A: わかります、(両手に)グッズいっぱい持ってるから(笑)売店のおばちゃんいい人でしたよね。

Q: また、映画祭に来たいと思いますか?
A: もちろん!みんなとそんな話になっています。今回は初めてで、何にもわからずにきて、スタッフ募集もあることを知ったことが遅かったけど、楽しかったです。次はスタッフで来ることもあるかも?(笑)その時はよろしくお願いします!

2015で待ってるよ!
名前を聞きわすれてしまったけど、突然のインタビューに答えてくれてありがとう!

取材・構成 野村 征宏

ヤマガタ映画批評ワークショップ 講師によるレビュー 『Spaces That Represent the Audience: Two Meters of This Land by Ahmad Natche』

Final preparations are under way for a music festival in Ramallah. Journalists from print and television, musicians, dancers, stage hands, and volunteers converge on the open-air site of the festival. Ahmad Natche’s Two Meters of This Land surveys this process in a calm succession of formally composed shots, frames that are architectural as much as cinematic, defining spaces that little by little fill up with the people of the film. These people, limited in number, are photographed in a discreet yet confident way that allows a quick and precise estimation of human individuality. The spaces they occupy, too big for the few people we see, seem to summon the absent performance acts and the absent audience.

Before showing the preparations for the festival, the film begins with another preparation. As we see a series of still photographs of Palestinian fighters, we hear the voices of two TV professionals, a man and a woman, discussing them. A few things can be said about the relation of this prologue to the rest of the film.

First, it would be too easy to understand that the structure of Two Meters of This Land puts in parallel two sets of images, designating two Palestines, the Palestine of armed struggle (here placed in the past), and the Palestine of cultural politics (the present), in order to suggest that the music festival is simply a continuation of war by other means. Of course the film is not saying this, and the parallel is in fact a misleading one. The prologue of the film creates an imbalance and leaves things troublingly open. The images of fighters indicate a historical path that has trailed off and become lost. And the testimony of a refugee woman, in what appears to be a scene shot for the TV documentary (as the the rough zooms in and out imply), is another door left open. Her words and manner show the difficulty of sustaining traumatic memory and placing it within discourse.

These early scenes of the making of the TV documentary mark a historical break that Natche’s film refuses to seal over. On one side of the break lie the loss of the homeland and the idealism of the armed efforts to recover it; on the other side, the cultural festival and the new sort of optimism evident in the activities of the (cosmpolitan, multilingual) young people who work in, for and around it.

The second thing to say about the prologue is that it establishes the awareness that everything that can be seen or said about Palestine is produced for a complex gaze. The conversation between the man and the woman emphasizes how Palestine is represented and known. The woman is French, with her own preconceptions and her own gaps of knowledge; and the man, a TV director, is conscious of how the images will be seen by Europeans.

Neither the Western nor the Palestinian audience is shown directly in Natche’s film. In their place, representing them, are the spaces prepared for the festival audience. In one scene, two female reporters walk across a bank of empty chairs, as the younger woman invites the older one to move to the background of Natche’s shot for an interview. After they finish this formal interview (inaudible to us), they return to the foreground to continue their informal chat (which we can hear). The profound interest of Two Meters of This Land can be encapsulated in this shot, with its elegant mise en scène of human beings passing from one discourse to another and from one audience to another, within a space that has been constructed for yet a third audience, which still lies in the future.

Chris Fujiwara

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