Yearly Archives: 2020

3月13日の金曜上映会〈塵からオーロラまで〉

3月13日の金曜上映会〈塵からオーロラまで〉

今回の金曜上映会は、好奇心と探究心に満ちた2作品をお届けします。部屋にたまる埃から宇宙のスターダストまで、世界に充満するさまざまな塵を観察し、考察するハルトムート・ヴィトムスキー監督の『ダスト—塵—』。-70℃にもなるカナダのマニトバ州チャーチヒルの冬、天空に現れるオーロラをフィルムに焼き付けようとするピーター・メトラー監督の『ピクチャー・オブ・ライト』。2作品続けてお楽しみください。

『ダスト—塵—』 14:00- 19:00-(2回上映)

『ダスト—塵—』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2009 インターナショナル・コンペティション上映作品

監督:ハルトムート・ヴィトムスキー/ドイツ、スイス/2007/94分

作品紹介:

プロジェクターや部屋にたまる埃、鉱山に舞う粉塵、工場で製造される顔料の微粒子、雨に洗い流される樹木に堆積した塵、9.11に起こった世界貿易センタービルの崩壊やミサイルの爆発で巻き起こる凄まじい粉塵の嵐、あるいは宇宙のスターダスト……。世界に充満するさまざまな塵の様相を、技術者や科学者の考察を交えて観察していく。

 

『ダスト—塵—』

 

監督のことば:

一片の塵は、人の目でかろうじて見ることができる。フィルムで捉えることのできるもっとも小さい物体だろう。それは、消失への媒介であり、認知の基準である。どこへ行こうとも、それは既に私たちを先回りしている。どこに向かおうとも、それは私たちについてくる。それは私たちの過去であり、現在であり、未来である。それは普遍的な存在であり、すべての言語で名前を持っている。それがあるせいで、主婦たちは掃除に追われ、また科学者も、発明家も、芸術家も、そしてあらゆる産業も手を煩わされる。それは害虫のエサとなり、病気の原因となる。それは私たちの所有物を奪い取り、研究室に侵入し、惑星と銀河を創る。それは私たちを取り囲み、私たちの中にも入り込み、私たちはそれを振り落とす……。それは、自身の存在の絶望の中に安住する。

ハルトムート・ヴィトムスキー

 

『ダスト—塵—』

 

 

『ピクチャー・オブ・ライト』 16:00-(1回上映)

『ピクチャー・オブ・ライト』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 ’95 インターナショナル・コンペティション 優秀賞受賞作品

監督:ピーター・メトラー/カナダ、スイス/1994/83分

作品紹介:

カナダのマニトバ州チャーチヒルの冬は、-70℃にもなる寒さだ。そこで自然の崇高さとオーロラなどの壮観な現象を描くリリシズム溢れる本作品は、人間と自然の対立、近代芸術的技術を代表する映画のイメージの可能性などの問題を哲学的に追及する。自然を捕えようとするのは人間のうぬぼれに過ぎない。寒さでまぶたも開かないまま撮影すると、出来上がった映像は美しく鮮明で、それがいわば虚像であることを実感する。土地の住人たちの生活にも目を向けた、温かい人間性と好奇心に溢れた作品。

『ピクチャー・オブ・ライト』

 

監督のことば:

イヌイットの老人はなによりも狩りが好きだと言った。おそらく我々は現代の狩人なのだ。食料を得るために狩りをすることもなく、我々は別のものを求めている。もう一度、私はカメラを手に取ろうとする誘惑と闘い……、代わりにただ見つめようとした……。

まもなく、我々はヴァーチャル・リアリティの世界に立つことになる——我々が電線と電波で作り上げた世界だ。それは我々を楽しませる。我々を忙殺する。

我々は光の映像を撮るために北極圏に来た——大自然の奇跡に誘惑されたのである。極北の光のように、あるいは思考の運動を映すように、まるで私たちが見たものすべての輪郭なき集成のように見える。

観る者を遠く離れた土地に連れていく映画——観て見ること、思想の栄養となること、夢判断、そして経験。テクノロジーを大自然のもっとも偉大なる奇跡を捉えるために用いた、ことの次第の反映。

ピーター・メトラー

 

『ピクチャー・オブ・ライト』

 

[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp

ドキュ山ユース《放課後上映会》好評巡回中です!

2018年から始まった、ドキュ山ユースによる放課後上映会。山形市内のみならず、お隣の上山市、寒河江市の高校にも巡回し、ドキュメンタリー映画の鑑賞と交流の場を作ってきました。

以下、東北公益文科大学(酒田市)の学生インターンによる山形西高校での上映会レポートです!


《放課後上映会》は第6回目です!

ドキュ山ユースが映画を携え学校を巡回する《放課後上映会》も早いものでもう6回目。

 

『ラ・カチャダ』監督:マレン・ビニャヨ/エルサルバドル/2019/81分/YIDFF 2019 インターナショナル・コンペティション

今回上映されたのは『ラ・カチャダ』(監督:マレン・ビニャヨ)。エルサルバドルの露天で生活の糧を得るシングルマザーたちに焦点を当て、講師とともに立ち上げた劇団でのリハーサルを通して明かされる彼女たちの過去を追った作品です。

会場は山形西高校

2020年2月12日(水) @視聴覚室

上映会のポスターや来場者アンケートは全てドキュ山ユースの学生が作成してくれました。教室のプロジェクターやスクリーンをお借りして、機材の操作や設営などは私たちインターンもお手伝い。

 

ユースによるあいさつの後、上映スタート!

 

上映終了後には自然と各自で集まって感想を言い合っていました。様々な視点からのコメントが出ました。映画の持つ多様さとはこのことなんだと思います。

【来場者アンケートより】
・女性や家族、社会の捉え方に変化が生まれた。
・日本でも同じようなことはあるが日本とは環境や貧富の差などが違い、世界の現実に少し触れることができたのかな、と思った。
・日本も男女格差が色濃く残っているので、変革したいと思った。

第7回会場はどこだ! 

あなたの学校でも放課後上映会を開いてみませんか?
リクエストがありましたらドキュ山ユースまたは映画祭事務局までお問い合わせください。

ドキュ山ユースのツイッターインスタグラムもフォロー&チェックお願いします!

文章:池田聖、木村百合花(東北公益文科大学)
監修:映画祭事務局

2月28日の金曜上映会〈いのちの神秘、ミクロの宇宙:樋口源一郎〉

2月28日の金曜上映会〈いのちの神秘、ミクロの宇宙:樋口源一郎〉

今回の金曜上映会は、生物進化の謎を追求し、90年代後半まで現役を続けた科学映画の巨匠・樋口源一郎監督(山形県天童市出身)を特集します。蜂が舞い、きのこが踊り、粘菌が脈打つ。私たちの頭上や足元にあるミクロの宇宙への旅をどうぞお楽しみください。

14:00- 19:00-(2回上映)

『女王蜂の神秘』
1962/16mm/33分
『細胞性粘菌の生活史』
1982/16mm/15分
『細胞性粘菌の行動と分化』
1991/16mm/21分
『真正粘菌の生活史』
1997/16mm/28分

[協力:天童市立図書館]

 

『女王蜂の神秘』(写真提供:桜映画社)

『女王蜂の神秘』作品紹介:

女王蜂を中心に数万匹が一糸乱れぬ秩序を保つミツバチ社会を解析する。情報伝達の手段であるダンス、仕事の分業体制、スズメバチとの闘争などから、あたかも社会全体でひとつの生物のように活動する姿を克明に記録していく。

 

『女王蜂の神秘』(写真提供:桜映画社)

 

『真正粘菌の生活史 —進化の謎・変形体を探る—』作品紹介:

10億年前に地球に発生し、巧みな方法で環境に適応してきた真正粘菌。変形体のリズミカルな原形質流動など、肉眼では見えない粘菌の動きを顕微鏡撮影で捉える。微生物の不思議な世界を観察し続けた樋口が91歳で完成させた力作。

 

16:00-(1回上映)

『微生物の実験』
1970/16mm/20分
『きのこ —シイタケ菌を探る—』
1980/16mm/20分
『緑なる大地を創る —菌と植物の共生を生かして—』
1995/16mm/24分
『菌と植物の共生』
1999/16mm/28分

[協力:天童市立図書館]

樋口源一郎

1906年3月14日、山形県天童市生まれ。銀行に勤務しながら明治大学夜間部を卒業する。その後画家を目指し木村荘八のもとでルネッサンスを学ぶ。寺田寅彦の映画論を読んで芸術と科学の問題に興味を持ち、30代で映画界入り。1942年『空をまもる少年兵』を初監督。以後、最新作の2001年『きのこの世界』まで約60年間、90代後半まで現役の映画作家として活動を続けた。生物進化に関する未知見を微速度撮影で解明する映像研究で知られ、細胞性粘菌の細胞分化のメカニズムを追求した「映像論文」は世界的な評価を得ている。100歳の誕生日を目前に控えた2006年2月23日逝去。

主な作品:空をまもる少年兵(1942)、長崎の子(1949)、白旗ぢいさん(1952)、声なきたたかい ―まつけむしの一生―(1955)、佐久間幹線(1956)、進みゆくビタミンB1(1958)、たのしい科学(1958~60)、カメラとシャッター(1960)、女王蜂の神秘(1962)、M.I.B.マシン(1964)、四国 ―自然と伝統―(1965)、雨に考える(1966)、生命の流れ―血液を探る(1967)、奈良・大和(1968)、浮世絵(1969)、微生物の実験(1970)、街道に残る文化財(1974)、東ドイツの旅(1975)、岩礁に築く ―伊方原子力発電所建設記録―(1978)、きのこ(1980)、細胞性粘菌の生活史(1982)、野中兼山 ―流れる河は生きている―(1987)、弘法大師・空海(1988)、細胞性粘菌の行動と分化(1991)、真正粘菌の生活史(1997)、菌と植物の共生(1999)、きのこの世界(2001)

 

[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp

2月14日の金曜上映会〈YIDFF 2019 アンコール 1:若者たち〉

2月14日の金曜上映会〈YIDFF 2019 アンコール 1:若者たち〉

いよいよ昨年の映画祭で上映したコンペティション部門の作品から、選りすぐりを上映するアンコールシリーズが今回から始動します! 第1回目は〈若者たち〉と題して、2019年のインターナショナル・コンペティションよりアンナ・イボーン監督の『トランスニストラ』と、1999年の市民賞受賞作品、ジグヴェ・エンドレセン監督の『ライオンのなかで暮らして』を上映します。青春期を駆け抜ける青年たちの希望と絶望、夢と現実、安らぎと苦悩。2本続けてお楽しみください。

『トランスニストラ』 14:00- 19:00-(2回上映)

『トランスニストラ』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2019 インターナショナル・コンペティション上映作品

監督:アンナ・イボーン/スウェーデン、デンマーク、ベルギー/2019/96分

作品紹介:

ウクライナとモルドバの境界にあって、1990年に独立を宣言した小国トランスニストリア。ひと夏の時を川辺や森、ビルの廃墟で過ごす17歳のタニアと彼女をめぐる5人の男の子たち。恋と友情の危ういバランスの上のつかの間の光の輝きを、16ミリカメラが記録する。夏から秋、そして冬へと移ろいゆく季節のなか、未来への不安と故郷の自然の心地よさの間で、若者たちの感情生活は揺れ動く。生きるためには、出稼ぎか、兵士になるか、さもなければ犯罪者になるしかない。過酷な現実を前に、無限とも見える青春の時間が空に吸い込まれていく。

 

『トランスニストラ』

監督のことば:

私の最新作となる本作は、ウクライナと国境を接するモルドバ北部に位置し、ソビエト連邦の崩壊を契機として1990年代初頭に誕生しつつも、いまだ国際的に認知されていない新国家、トランスニストリア(別名:沿ドニエストル)を舞台とする。周辺諸国がすでに背を向けたソビエト流の政治体制をいまなお堅持するこの国にあって、90年代生まれの世代は、そうした環境で育つことをどう感じているのだろうか。そんな疑問を持ちつつ当地を訪れてわかったのは、レーニン像と同じくらい年季の入った伝統も残っているとはいえ、トランスニストリアの若者たちにとって、いまや旧ソビエト国家よりも現代のロシアの方が、はるかに影響が大きいということだった。彼らは現代ロシアのポップミュージックを聴いているし、なかにはプーチンのファンさえ存在する。政治状況を全く気にかけない様子の者もいるにせよ、私が出会った人は、そのほとんどがトランスニストリア人であることを誇りに思っていた。

最初の事前調査で現地に赴いたとき、私はある特別な若者たちと知り合った。男の子5人と女の子1人の友人グループの躍動的な変化にすっかり魅了された私は、彼らを映画の中心にしたいと考えた。彼らを通して、初恋を探し求める多感な時期を、その真っただ中にいる17歳のタニアとともに捉えたかったのだ。彼らはその時間のほとんどを戸外で過ごし、川辺で泳ぎ方を学ぼうとしたり、廃墟となった建物の壁をよじ登り、もはや窓が嵌められることなく開いたままの壁の穴に石を投げ込んだりしている。ところがこの若者たちが今まさに動き回っているのは、語りが無効となり、中断され、延期されるような未完の建築の内部なのだ。矛盾するようだが、うっかり重傷を負いかねない、いかにも安心できないような場所で、友人たちはむしろ安心感を抱いている。こうした脈略のなさ、気分次第で絶えず移ろう一人の若者の心に感化された私は、構成も順序も自由な語りの方へ向かっていった。夏の間、彼らは大人たちに邪魔されることなく気ままに過ごし、彼ら自身が大人となる時期も引き延ばされている。しかし、映画に深く入り込んで数ヶ月が経つにつれ、友人グループは次第に社会と直面するようになる。それぞれの道を進むなか、社会の規範にどれくらい適合するかを見る大人の世界が、彼らを評価してゆくのである。

アンナ・イボーン

 

『トランスニストラ』

 

『ライオンのなかで暮らして』 16:00-(1回上映)

『ライオンのなかで暮らして』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 ’99 インターナショナル・コンペティション 市民賞受賞作品

監督:ジグヴェ・エンドレセン/ノルウェー/1998/83分

作品紹介:

ガンに侵された若者たちの姿を1年半にわたって撮った、真摯で重たいテーマを描いた作品である。27歳のイングン、21歳のラーシュ、21歳のクリスティンの3人の若者を中心に、彼らの友人たちを交えながら、不幸にも若くして死に向かい合った彼らの考えや感情を通 して、生の価値と生きることの意味を問いかける。彼らの1人が言う「人生で最良の時期は、ガンと診断された後である」という言葉は重い。実際、友人との楽しい語らい、バカ騒ぎ、旅行、そして結婚など、若者の誰もがすることの裏側に、近い将来の死への旅路を覚悟せざるをえない心境とは、いかなる苦痛と絶望を伴っていることだろうか。1978年以来、ドキュメンタリー映画を撮ってきたシグヴェ・エンドレセン監督は、彼らの希望と絶望、夢と現実、安らぎと苦悩などに随伴しながら、彼らの生の証を再構成し、生と死の意味を描き出している。タイトルは、ラストに示されるように、カレン・ブリクセンの小説『アフリカの日々』から取られたもの。死を覚悟した者だけが真に自由である、という意味である。

YIDFF ’99 公式カタログより

 

『ライオンのなかで暮らして』

監督のことば:

「人生の意味を知り、感じ、そして理解するために、これは本当に起こらなければならなかったのだろうか」(ガン患者)
「もうすぐ私は死ぬのだ」と口にする人々は突然孤独になる。というのも、大半の人々が自分たちは死なないと考えて生活しているからだ。だが、死から遠ざけられることで、私たちは生からも遠ざけられてしまう。そしてもうすぐ死ぬ とわかった日に、初めて生きることを真剣に考えるというのはよくあることだ。死は変化をひきおこす。
私は長い間、死についての映画を作りたいと思っていた。死が生に対して意味を与えるというパラドックスについての映画。そして死を隅へと追いやり、それを病院の中に隠すことで、私たちが生きることに対しての大切な見方をどのようにして失っているかについての映画でもある。私は死についての映画を作ろうとしてきたが、そのことは生に対するひとつの肯定であり、賞賛である。
『ライオンの中で暮らして』という題名はカレン・ブリクセンの小説『アフリカの日々』(1937)の一場面 から来ている。彼女はあるエピソードを記している。数頭の雄牛がライオンに殺されていた。牧童頭はその死んだ牛に毒を塗っておいて、ライオンが食べにやってくれば、毒のついた肉のせいで彼らを殺せるだろうと提案する。ブリクセンは「ライオンは毒殺ではなく銃殺されるべきだ」と言う。牧童頭が、それはあまりにも危険で、自分はあえてやろうとは思わないと主張すると、彼女はこう答える。「死ぬ ことができる人こそが自由に生きているのだ。」そうして彼女はライオンを撃ちに出かける。
私はガンだと診断され、まもなく死ぬだろうと告知された数人の若い人々を追ってきた。彼らが“ライオンの中で暮らす”ようになる過程のなかで、共に日々を過ごしてきた。私にとって、これは彼らが経験し、叫び、成長し、そして反省することについての映画なのであり、またそれは、人生とは一体どのようなものかについて、私たちにかなり多くのことを教えてくれるのだ。

ジグヴェ・エンドレセン

 

『ライオンのなかで暮らして』

 

[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp

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