2月14日の金曜上映会〈YIDFF 2019 アンコール 1:若者たち〉

いよいよ昨年の映画祭で上映したコンペティション部門の作品から、選りすぐりを上映するアンコールシリーズが今回から始動します! 第1回目は〈若者たち〉と題して、2019年のインターナショナル・コンペティションよりアンナ・イボーン監督の『トランスニストラ』と、1999年の市民賞受賞作品、ジグヴェ・エンドレセン監督の『ライオンのなかで暮らして』を上映します。青春期を駆け抜ける青年たちの希望と絶望、夢と現実、安らぎと苦悩。2本続けてお楽しみください。

『トランスニストラ』 14:00- 19:00-(2回上映)

『トランスニストラ』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2019 インターナショナル・コンペティション上映作品

監督:アンナ・イボーン/スウェーデン、デンマーク、ベルギー/2019/96分

作品紹介:

ウクライナとモルドバの境界にあって、1990年に独立を宣言した小国トランスニストリア。ひと夏の時を川辺や森、ビルの廃墟で過ごす17歳のタニアと彼女をめぐる5人の男の子たち。恋と友情の危ういバランスの上のつかの間の光の輝きを、16ミリカメラが記録する。夏から秋、そして冬へと移ろいゆく季節のなか、未来への不安と故郷の自然の心地よさの間で、若者たちの感情生活は揺れ動く。生きるためには、出稼ぎか、兵士になるか、さもなければ犯罪者になるしかない。過酷な現実を前に、無限とも見える青春の時間が空に吸い込まれていく。

 

『トランスニストラ』

監督のことば:

私の最新作となる本作は、ウクライナと国境を接するモルドバ北部に位置し、ソビエト連邦の崩壊を契機として1990年代初頭に誕生しつつも、いまだ国際的に認知されていない新国家、トランスニストリア(別名:沿ドニエストル)を舞台とする。周辺諸国がすでに背を向けたソビエト流の政治体制をいまなお堅持するこの国にあって、90年代生まれの世代は、そうした環境で育つことをどう感じているのだろうか。そんな疑問を持ちつつ当地を訪れてわかったのは、レーニン像と同じくらい年季の入った伝統も残っているとはいえ、トランスニストリアの若者たちにとって、いまや旧ソビエト国家よりも現代のロシアの方が、はるかに影響が大きいということだった。彼らは現代ロシアのポップミュージックを聴いているし、なかにはプーチンのファンさえ存在する。政治状況を全く気にかけない様子の者もいるにせよ、私が出会った人は、そのほとんどがトランスニストリア人であることを誇りに思っていた。

最初の事前調査で現地に赴いたとき、私はある特別な若者たちと知り合った。男の子5人と女の子1人の友人グループの躍動的な変化にすっかり魅了された私は、彼らを映画の中心にしたいと考えた。彼らを通して、初恋を探し求める多感な時期を、その真っただ中にいる17歳のタニアとともに捉えたかったのだ。彼らはその時間のほとんどを戸外で過ごし、川辺で泳ぎ方を学ぼうとしたり、廃墟となった建物の壁をよじ登り、もはや窓が嵌められることなく開いたままの壁の穴に石を投げ込んだりしている。ところがこの若者たちが今まさに動き回っているのは、語りが無効となり、中断され、延期されるような未完の建築の内部なのだ。矛盾するようだが、うっかり重傷を負いかねない、いかにも安心できないような場所で、友人たちはむしろ安心感を抱いている。こうした脈略のなさ、気分次第で絶えず移ろう一人の若者の心に感化された私は、構成も順序も自由な語りの方へ向かっていった。夏の間、彼らは大人たちに邪魔されることなく気ままに過ごし、彼ら自身が大人となる時期も引き延ばされている。しかし、映画に深く入り込んで数ヶ月が経つにつれ、友人グループは次第に社会と直面するようになる。それぞれの道を進むなか、社会の規範にどれくらい適合するかを見る大人の世界が、彼らを評価してゆくのである。

アンナ・イボーン

 

『トランスニストラ』

 

『ライオンのなかで暮らして』 16:00-(1回上映)

『ライオンのなかで暮らして』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 ’99 インターナショナル・コンペティション 市民賞受賞作品

監督:ジグヴェ・エンドレセン/ノルウェー/1998/83分

作品紹介:

ガンに侵された若者たちの姿を1年半にわたって撮った、真摯で重たいテーマを描いた作品である。27歳のイングン、21歳のラーシュ、21歳のクリスティンの3人の若者を中心に、彼らの友人たちを交えながら、不幸にも若くして死に向かい合った彼らの考えや感情を通 して、生の価値と生きることの意味を問いかける。彼らの1人が言う「人生で最良の時期は、ガンと診断された後である」という言葉は重い。実際、友人との楽しい語らい、バカ騒ぎ、旅行、そして結婚など、若者の誰もがすることの裏側に、近い将来の死への旅路を覚悟せざるをえない心境とは、いかなる苦痛と絶望を伴っていることだろうか。1978年以来、ドキュメンタリー映画を撮ってきたシグヴェ・エンドレセン監督は、彼らの希望と絶望、夢と現実、安らぎと苦悩などに随伴しながら、彼らの生の証を再構成し、生と死の意味を描き出している。タイトルは、ラストに示されるように、カレン・ブリクセンの小説『アフリカの日々』から取られたもの。死を覚悟した者だけが真に自由である、という意味である。

YIDFF ’99 公式カタログより

 

『ライオンのなかで暮らして』

監督のことば:

「人生の意味を知り、感じ、そして理解するために、これは本当に起こらなければならなかったのだろうか」(ガン患者)
「もうすぐ私は死ぬのだ」と口にする人々は突然孤独になる。というのも、大半の人々が自分たちは死なないと考えて生活しているからだ。だが、死から遠ざけられることで、私たちは生からも遠ざけられてしまう。そしてもうすぐ死ぬ とわかった日に、初めて生きることを真剣に考えるというのはよくあることだ。死は変化をひきおこす。
私は長い間、死についての映画を作りたいと思っていた。死が生に対して意味を与えるというパラドックスについての映画。そして死を隅へと追いやり、それを病院の中に隠すことで、私たちが生きることに対しての大切な見方をどのようにして失っているかについての映画でもある。私は死についての映画を作ろうとしてきたが、そのことは生に対するひとつの肯定であり、賞賛である。
『ライオンの中で暮らして』という題名はカレン・ブリクセンの小説『アフリカの日々』(1937)の一場面 から来ている。彼女はあるエピソードを記している。数頭の雄牛がライオンに殺されていた。牧童頭はその死んだ牛に毒を塗っておいて、ライオンが食べにやってくれば、毒のついた肉のせいで彼らを殺せるだろうと提案する。ブリクセンは「ライオンは毒殺ではなく銃殺されるべきだ」と言う。牧童頭が、それはあまりにも危険で、自分はあえてやろうとは思わないと主張すると、彼女はこう答える。「死ぬ ことができる人こそが自由に生きているのだ。」そうして彼女はライオンを撃ちに出かける。
私はガンだと診断され、まもなく死ぬだろうと告知された数人の若い人々を追ってきた。彼らが“ライオンの中で暮らす”ようになる過程のなかで、共に日々を過ごしてきた。私にとって、これは彼らが経験し、叫び、成長し、そして反省することについての映画なのであり、またそれは、人生とは一体どのようなものかについて、私たちにかなり多くのことを教えてくれるのだ。

ジグヴェ・エンドレセン

 

『ライオンのなかで暮らして』

 

[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp