冒頭、イタリア発の電車の中では、労働のために故郷を離れるのだろう男たちの姿があった。彼らの傍には家族写真や女たちの写真があり、その後土木工事に勤しむ労働者の中の1人の背中には、愛する女を模した刺青がある。そんな男たちの情景は、スイスの葬儀会社で働くこの映画の主人公・ジョバンとジョゼをも含む移民たちの姿を切り取ったものであり、その後、葬儀会社の暗い一室で、淡々と処理される1つの遺体の人生と歴史を想起させるものに他ならない。死んだ男が帰りたくても帰れなかった美しい場所に雪が降り積もり、その場所に縁もゆかりもなかった2人の男が故郷を去る歌を口ずさみながら通り過ぎていく。この映画は、故郷に搬送するという職務のため、彼らが遺体と共に旅をするロードムービーである。

 

多くを語る陽気なジョバンと、言葉少ない冷静なジョゼ。息の合う凸凹コンビだが、その会話は時折互いの人生の繊細な部分に触れ、にわかに緊張する。愛し愛される妻がいるジョバンと、離婚経験者のジョゼの愛の捉え方を巡る攻防は面白かった。ジョゼが黙り込んでしまったため、大雨とウィンカーの音がいっそう際だって聴こえる。黙り込むジョゼをチラチラと横目に見ながらスマホで音楽を奏でるジョバンが可愛らしい。

 

遺体の男が霊となって道中を見守っているに違いないと言うジョバンに対し、ジョゼはそのことを否定したが、遺体の男は確かに彼らの背後にひっそりと佇んでいる。男たちがホテルに入っていく姿を車内から見送るショットは、まるで、車に取り残された死者の視点がそこに存在しているかのようだった。遺体を引き渡した後、主のいなくなった車の後方から見える風景は、心なしかこれまでよりも早く、淡々と過ぎ去っていく。仕事の終わった男たちにとってそれからの道は、死者と共にあったそれまでの道のりと違い、それぞれの愛する人が待つ家路へと切り替わるのだ。彼らはじきにその男と彼の人生を忘れ、次の遺体と向き合うだろう。それが常に死と向き合う彼らの仕事なのだから。男たちの人生はこれからも続く。

 

海のないスイスの住人にとっては珍しい海の水を、ジョバンとジョゼは記念に持ち帰ろうとする。波が寄せるタイミングに合わせてペットボトルを必死に近づけるジョバンだが、水はなかなかうまく入らない。エンドロールでは、彼らが去っていった後の海の波の音だけが残る。彼らが持ち帰るペットボトルの中に残るのは海水のみで、波そのものではない。海が永遠だとすると、波はその瞬間を切り取ったものに過ぎない。それは、ジョバンが言う死後も続く魂、愛という永遠のものに対する、瞬間でしかない人生を表すとも言える。彼らがペットボトルの中に切り取ろうとした一人の男の人生、あるいはこの映画が切り取ろうとした男たちの人生の断片。やがて忘れられ、洗面所に捨てられるだろう、その水。

「心のまま好きなことをしろ、人は何千年も生きられないのだから」

 

ジョバンが死者のいなくなった車内で歌った曲の歌詞が、心に沁みた。(藤原奈緒)