コミュニケーションツールとしてのシュルーム・リチュアル

一度シュルームを服用すると、人格が変わるという。それも、数十年にわたる影響力だ。「シュルーム」とは、欧米において幻覚性キノコを指す隠語のことで、日本では長年、マジックマッシュルームの名でその危険性や魅惑が謳われてきた。

メキシコ先住民マサテコ族のシャーマンとして幻覚性キノコを用いた精神療法を長年行い、その名を世界に轟かせたマリア・サビーナについてのドキュメンタリーを観た。監督は今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティション部門審査員を務める、ニコラス・エチェバリアだ。『マリア・サビーナ 女の霊』は1979年に完成された彼の初めての長編ドキュメンタリーである。世界初の民族菌類学映像資料として、世界中の先住民学者やシャーマニズムの研究者、ヒッピー達に今も受け継がれる同作品は、16ミリの手持ちカメラでマリア・サビーナの生活ぶりや彼女が儀式を行う光景の一部始終を記録している。

本作は冒頭のテロップによる解説、マリア・サビーナの一人称で読み上げられるナレーション、そして被写体を捉える映像によって構成される。まるで詩を読んでいるかのようなナレーションは、サビーナとアメリカの菌類研究家ゴードン・ワッソンの対談録を基にして作られている。スペイン語のオリジナル版ではナレーションはあえて男性が担当しているのだが、英語版ではあいにく女性の声となっていた。それでも、宗教的職能者の持つ男性的な逞しさを言葉の中から感じることができる。劇中、 朝靄のなかで朝日が山々を照らす美しいロングショットが幾度となく挿入される。観ているだけで開放感に浸れる清々しいショットだが、どこかサウダージをも感じさせる。

身体と心は繋がっている。だから身体を病んでいるときは心を癒し、心を病んでいるときは身体を癒してあげればよいのだ、と聖なるキノコの母は云う。大きく腫れ上げた両足をひきずりながらマサテコ族の女性が彼女を訪れ、ついに儀式が始まる 。明くる朝、彼女は一人で山に行きキノコを収穫する。そして午後は、採ったばかりのキノコを作法に従って炙り、指先を使って細かく裂く。日が沈みきってから、闇と静寂に包まれた部屋に蝋燭を灯し、病に苦しむ訪問者と彼女を祟る仲間たち、そして親類を交えてキノコを食す。女性シャーマンは彼女の足を優しく摩りながら、救済を求める歌を唱え続ける。心身の毒素は嘔吐する行為によって吐き出されると信じるこの儀式では、病人が嘔吐できない場合、マリア・サビーナが自身の肉体を使って嘔吐を代行するという。病人を精神的苦痛から解放するシュルーム儀式は、どこか、彼女自身が誰かを癒すことで自ら癒される光景のように見えた。

マリア・サビーナは村を訪れる人に見返りを求めずただひたすら儀式を行っていた。彼女にとって、儀式は神との交流の手段であるだけでなく、彼女自身が村社会のなかで他人から必要とされていることを確信できる時間でもある。心身を病んだ人間を救おうとする彼女の行為は、手段こそ我々には馴染みのないものかもしれないが、人道にかなった行為に代わりはない。貧しい家に生まれ、餓えをしのぐために参加した宗教儀式で出会ったキノコは、彼女にとって信仰と快楽のツールのみならず、貧しいシャーマンとマサテコ族、あるいは人間と人間を繋げるメディアとして機能しているのかもしれない。撮影当時で推定80歳、鋭い目力に反して抜けた歯が年齢を感じさせる、慈愛深きマリア・サビーナには、彼女を必要としてくれる人間が是非とも必要だったのだ。青山エイミー