女性達だけの神秘的な空間」

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映画監督が自らの家族にカメラを向ける目的は、なんだろう。家庭というプライベートな空間を外部の人にみせることで特殊な家庭環境を理解してもらうため? それとも、愛する家族との時間を記録して保存したいという願いから? 『女たち、彼女たち』の監督、フリア・ペッシェの場合、答えは「どちらも」だ。女性だけの家庭内で繰り広げられる会話は、痛々しいほどに現実的である。しかし、外の世界から隔たれた彼女たちだけの空間は、時としてはっと息をのむほどに神秘的なのである。

ひんやりと冷たそうな老婆の足をマッサージする場面から始まるこの作品は、アルゼンチンの郊外にある9人の女性たちが暮らす住まいに焦点を当てる。監督の家族だ。死が迫っているのは、大叔母。その隣には、こちらも介護を必要とする祖母。交代に介護を手伝うのは、若い従姉妹たち。母と叔母は、多忙の身ながら老人ホームを探すことに頭を悩ませている。女性たちは、助け合ったり、口論したり、なぐさめあうことを繰り返しながら生活している。男性はいない。気配すら、ない。世代を超えた9人の女性たちが支え合いながら暮らす光景を見ていると、どこか「おんなの小宇宙」に迷い込んでしまったような錯覚に陥る。一家がピクニックに行くシーンがある。草むらで水着姿の女性たちが、隣の太腿に頭を置いて円を描くように横になり、自然の音に耳をすませる。楽園を想起させる神秘的なシーンだ。

撮影は全て手持ちで行われ、カメラは家じゅうの女性たちをどこまでも追いかける。入浴シーンも何度もある。繰り返される日々の営みに重きを置いているからこそ、これらの場面も隠すことなく映し出されるのだ。老婆と妊婦の入浴場面のコントラストは、計算し尽くされたこの作品の凄さを物語り、この作品で特筆すべきは、死と生を並列させることにある。死にゆくおんなの姿、それを支えるおんなの姿、そして新しい命を宿ったおんなの姿。

自宅出産を記録したクライマックスは、 監督が妊婦の実姉であるゆえに可能である。繊細な暖色の間接照明が、必要な情報だけに光を当て、「オーム」とゆっくりマントラを唱えながら、助産婦は妊婦の緊張をほぐす。儚くて逞しい母体と、そこから切り離されるべく生まれてくる新しい生命を目の当たりにする、奇跡の体験だった。「これは、私の子なのよね」と、産み落とした直後の母親は確かめるように助産婦に訊く。それに対する助産婦の答えは、生命の循環を喚起させ、胸が熱くなる。(青山エイミー)