みどころ

チベット、中国、ミャンマー、バングラデシュに囲まれたインド領。現代のグローバル政治経済の観点から見ると、明らかに地政学的な要所である。ユーラシア大陸を横断するアジアハイウェイは今、インパールを通る。日本帝国軍のかのインパール作戦の末、悲惨な戦禍の現場となった土地でもある。
ここには200以上の言語を使うたくさんの民族が共存する複雑な文化の交差点だが、独立運動や紛争に対するインド軍の圧力はこれまで人々の暮らしを脅かしてもきた。
今回の特集では、暴力や弾圧、民衆蜂起や社会混乱から少し時間的な距離のある過渡期の「春の気配」の中、各地の映像制作者たちがそれぞれの方法で時代を捉えた映画が並んでいる。また、時代のグローバリゼーションの中で変わりゆく歌、橋づくり、村の自治、女性の主権、価値観の変化に取り組む人々の姿が映されている。
でも映画としてはどうなの?と聞かれるが、これが面白いのだ! しっとりした風景に込められた記憶の傷、ネット上の動画を多用した速いカッティングのコラージュ、ヌーヴェルヴァーグ時代のゴダールのような自由さと遊び心が満載の作品、技術力と演出力の王道を駆使したフィルム時代。
映画館ソラリスのロビーはエスニックで手作りの飾りつけに見違えります。6人のゲストが現地から持参したスナックも振る舞いますので、ぜひおいでください。

A. 硝煙弾雨の後、アッサムの記憶
After the Smoke and Ammo: Assam’s Memories

『秋のお話』An Autumn Fable

監督、ナレーション:ピンキー・ブラフマ・チョウドリー/インド(アッサム州)/1997/45分

12人の怪力と食欲を誇る魔男、獣に化けて王座をねらう王子、剣術に長けた美しい姫─。毎年秋になるとボドの村々の夜空の下で、音楽、歌、踊り、立ち回りの民俗劇が演じられる。一方で、自治を求めるボド独立運動は武装闘争として泥沼化し、コミュニティは崩壊に瀕していた。恐怖と不信から沈黙が生まれ、武装した兵士、難民キャンプ、破壊の爪痕が……。それでも悠久の大地の声は、物語や劇を通してかすかに息づいていた。伝承と記憶がこの地の人々に生きる活力を呼び起こすことに願いをこめた、ボド出身の女性監督の作品。YIDFFʼ99アジア千波万波で上映。

『僕らは子どもだった』Tales from Our Childhood

監督、脚本、撮影、編集:ムクル・ハロイ/インド(アッサム州)/2018/アッサム語/69分

亡くなった革命兵士の戦闘服を幼なじみに着せてポーズをとらせる。別の友人は古い日記をひもとく。少年時代に演じた劇の台本を仲間どうしで読み合わせする。反政府運動家が書いた詩を朗読する。映画づくりは、1990年代にアッサム州で育った監督の子ども時代の記憶をよみがえらせる旅路。かの激動の時代、アッサム統一解放戦線(ULFA)がインドから独立を目指す武装闘争を率いていた。暴力や死、行方不明者は、日常生活の一部だった。1991年生まれの俊英が友人、両親、親戚の語りから記憶の断片を引き集め、時代を再構成する。

B. 悠久の時間、風景が語るもの
Timelessness in the Landscape

『老人と大河』Old Man River

監督、脚本、撮影:ゴータム・ボラ/インド(アッサム州)/2012/52分

川の流れのように……。クラク・ペグ老人の100歳を超える人生は、ブラフマプトラの大河と命運を共に歩んできた。中州や岸辺の草地で牛と水牛を放牧し、水がはけた季節に肥沃な土地で作物を耕し、子や孫ら大家族を養ってきた。豪雨、洪水や川岸の浸食に遭っても、大河は生命をもたらし、生命を奪う存在であることを受け入れてきた。政府の河岸対策も効果を見せない。この世の力で自然は支配できない、と老人は言う。そして近年はとみに気候変動が予測不可能なのだ。牛の群れが濁流のなか、草地のある岸まで何時間も泳ぐシーンが圧巻。

『田畑が憶えている』What the Fields Remember

監督、脚本:スバスリ・クリシュナン/インド(アッサム州)/2012/52分

1983年2月18日の午前9時から午後3時の間、アッサム州の町ネリーと、近隣の村々で2千人以上もの人が殺された。彼らはベンガル語を母語とするイスラム教徒だった。人家は焼き払われ、田畑はつぶされた。亡くなった人の多くは老人、女性、子どもだった。ネリー事件は今日にいたるまでインド正史の余白に押しやられ、国家的記憶からほぼ消されている。この映画はその30年後に事件を再考する。生存者たちの証言は、喪失の哀しみと癒されない記憶の痛みにあふれる。虐殺の現場であった田園風景を見つめ、脳裏に刻み込まれる記憶や歴史と向き合う。

C. アリバム・シャム・シャルマの文化映画
Culture of the Northeast by Aribam Syam Sharma

アリバム・シャム・シャルマ(1936-)はナント三大陸映画祭グランプリの『My Son, My Precious』(1981)、カンヌ映画祭のある視点部門に選ばれた『The Chosen One』(1990)など、これまで14本の劇映画、31本の短編・記録映画を作ってきたインド北東部を代表する映画監督。『マニプールの蘭』『ライハラオバの踊り』では、自ら作曲し歌も歌う監督の、マニプール伝統音楽や踊りへの深い造詣と関心が見られ、自然環境と文化芸術の関係を明らかにする。『アルナーチャル州モンパの民』は、ブータンに近い山岳地に暮らすチベット仏教を信仰するモンパ族を取材した文化映画。ここでも農作業や織り機を動かすリズムと動き、年一度の祭りと踊りに見る信仰と表現に注目する。

『マニプールの蘭』Orchids of Manipur

監督、音楽:アリバム・シャム・シャルマ/インド(マニプール州)/1993/28分

『ライハラオバの踊り』Yelhou Jagoi: The Dances of Lai Haraoba

監督:アリバム・シャム・シャルマ/インド(マニプール州)/1995/35分

『アルナーチャル州モンパの民』The Monpas of Arunachal

監督、音楽:アリバム・シャム・シャルマ/インド(アルナーチャル・プラデーシュ州)/2001/20分

D. 時代を超える歌
Song Forever

『こわれた歌、サビンの歌』The Broken Song

監督、脚本、音楽:アルタフ・マジド/インド(アッサム州)/2015/52分

歌で物語を語り継ぐカルビ人の伝統芸能に、サングラスをかけたギャングや高級車を登場させ、現代の村を舞台にしたミュージカルに仕立てた遊び心たっぷりの映画。ヒンドゥー信仰のないカルビ文化なのに、古代インドの大叙事詩ラーマヤーナでおなじみの人物とあらすじが底流にマッシュアップ。ラボンがラーマの妻シータを誘拐したのは、妹サビンの鼻を切り落とされたからだった……? 何世代にもわたる口承文化の記憶と神話を現代に開いていく。批評家出身の故アルタフ・マジド監督は、国際批評家連盟賞の審査員としてYIDFF 2001に参加した。

『ルベン・マシャンヴの歌声』Songs of Mashangva

監督、撮影、製作:オイナム・ドレン/インド(マニプール州)/2010/62分

ルベン・マシャンヴはタンクル・ナガの村々を旅しながら、お年寄りから話を聞き、古い歌や楽器を収集する。そのリズムやメロディー、歌詞は「ナガ・フォーク・ブルース」と自称する自らの音楽に直結する。伝統的なハオクイラット式の髪型とウェスタン・ブーツのいでたちで、9歳の息子を伴いインド各地や東南アジアを広く演奏旅行で回る。そのメッセー
ジは「西洋文化に劣等感を持つことはない」「自分の文化に誇りを持て」。かつてキリスト教宣教師のあまりの“熱心さ” は、一世紀にわたって続いたタンクル・ナガの民族音楽を根絶しかけたのだ。

E. 山の民、水の民 時代の軋み
People of the Mountain, People of the Waters: Creaking of Times

『森の奥のつり橋』In the Forest Hangs a Bridge

監督、脚本、製作:サンジェイ・カク/インド(アルナーチャル・プラデーシュ州)/1999/39分

シアン峡谷の川に掛かるつり橋は、アルナーチャルの山林に住むアディの民が誇る技術のたまものである。村の男たちは共同作業で森から籐と竹を切り出し、長さ300メートルの橋を毎年作り直すことを13世代にわたって続けてきた。鉄をたたいて作ったナタが唯一の道具。そして今、材料に鋼鉄のワイヤーが導入され、学業や仕事で山を離れる若者が多くなってきた。インド本土の撮影隊が撮ったこの映画は、時代の変わり目を捉えた決定的な記録となった。アディの人々に対する敬意と親密なまなざしを向け、コミュニティの強さとはかなさを映し出す。

『浮島に生きる人々』Floating Life

監督:ハオバム・パバン・クマール/インド(マニプール州)/2014/52分

インド北東部最大の淡水湖ロクタク湖は、自然の有機物の浮島が無数に点在していることで知られる。マニプール州政府は2011年、浮島に住む人々の生活排水が湖水を汚染しているとして、何百もの家々に火を放った。生態系との調和の中でつつましく暮らしていた漁民の暮らしを重機が破壊する強制執行。支援者と共に当局への抗議行動を続けるためにも、小屋を建て直し、子どもに食事を食べさせる日常を丁寧に撮影している。監督はその後、出会った人たちを主人公に初の長編劇映画『Lady of the Lake』(2016)を製作し、世界各地で好評を博した。

F. インド情報放送省映画局 40年をはさんで
From Films Division, the Ministry of Information & Broadcasting, 40 Years Apart

『ナガランドの胎動』New Rhythms in Nagaland

監督、脚本:プレム・ヴァイディア/インド(ナガランド州)/1974/46分

長年、独立を求める勢力の紛争が絶えないナガランド。インド政府の視点から作られたこの情宣映画では、1963年に州となってから中央政府の重点支援のおかげで経済やインフラ整備が飛躍的に進歩したことをアピールする。伝統の歌・踊り・祭りや共同的な生活文化を紹介した後、ナガの若者たちがインド本土に渡って縦横に見聞する視察旅行に密着する。表敬訪問を受ける政治家、軍事パレード、製鉄工場やダム、名所旧跡など大インドの豊かさと国力を見せつけられる道中。青年たちが初めての海で、波打ち際ではしゃぐスナップは、彼ら自身のまぎれもない青春の記録となっている。

『ミゾ民族戦線:ミゾの蜂起』MNF: The Mizo Uprising

監督:ナポレオン・RZ・タンガ/インド(ミゾラム州)/2014/28分

「竹の花が咲くのは凶兆」と言い伝えられる通り、ミゾラムを飢饉が襲った。数年後の1966年、ミゾ民族戦線を率いるラルデンガが、ミゾラム独立を掲げてインド軍駐屯地を一斉攻撃し蜂起した。対するインド軍は市街地を空爆。その後20年間、地下にもぐった義勇兵、市民、インド軍は泥沼の戦争に入った。本作では1986年の和平合意、義勇兵の帰還と平和への移行までを描く。いまでは与党の政治家となった民族戦線のトップ、元戦士、元インド軍兵士、平和交渉に参加したキリスト教指導者など、当時を生きたリーダーたちの証言が貴重な記録としてまとめられている。

G. 春の気配 変わる信仰、民主主義、女性たち
Rustle of Spring: Faith, Democracy, and Women

『新しい神々に祈る』Prayers for New Gods

監督、撮影:モジ・リバ 編集:サンジヴ・モンガ/インド(アルナーチャル・プラデーシュ州)/2001/28分

アルナーチャル・プラデーシュのミジなど、少数民族における宗教と信仰の現在を取材する。従来、アニミズム信仰と儀礼を通して、困難な環境と折り合いをつけてきた部族社会が、キリスト教や近年高まるヒンドゥー教など、新しく流入する宗教の影響を受けている。ドニ・ポロ(太陽と月の信仰)のような土俗的な信仰が、生贄を減らし、礼拝の形を変えながら復興を見せている。神々との関係もグローバル化の波にさらされ変わりつつある。信仰実践の変化は、共同体のアイデンティティ形成に役立つと注目される。

『めんどりが鳴くとき』When the Hens Crow

監督、撮影:タルン・バルティア/インド(メガラヤ州)/2012/54分

母系社会を形成するカーシ民族。名義や財産相続は女性の系統による継承なのに、女性が地域の政治に参加することは許されていない。カーシ山地のジョンクシャ村で、ファティマ、アクォリン、マティルダという3人の女性が交付金の汚職を暴いて村の議会で問題提起した。すると村の権力者は、3人に「村八分」を申し渡し、社会的・経済的に制裁。場をわきまえずに意見する女、村の総意を問い返す女を危険分子と伝統は見なし、「めんどりが時を告げたら、頭を切り屋根に投げ捨てろ」と昔の俗謡は歌っていた。しかし彼女たちは退かないのだった。

『禁止』Not Allowed

監督、撮影:タルン・バルティア/インド(メガラヤ州)/2018/40分

シロンの街角は議論が絶えない。母系社会のカーシ民族が実存的危機にある、ともっぱらの話題だ。カーシの妻と結婚した本土ビハール人の監督が、カーシの伝統で「禁止」されている事柄を考察する。本土の男たちがカーシの女たちをだまし誘惑しているって? 外部者の流入と異民族間の婚姻が増えることは、先住民の伝統を脅かすのか? 母系社会は呪われた制度なのか? ラム酒、音楽と詩に酔い、ケーブルテレビとソーシャルメディアのほとばしりと共に、カーシ社会における多文化の夢を夜どおし探索する。