〈YIDFF 2017 アンコール16:シリア、カーキ色の記憶〉

前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された作品から選りすぐりをお届けするアンコールシリーズ第16弾。今回はYIDFF2017で最優秀賞である山形市長賞を受賞したアルフォーズ・タンジュール監督の『カーキ色の記憶』、YIDFF2007で上映したハーラ・アルアブドッラー、アンマール・アルベイク両監督による『彼女の墓に花をそえるのは私』を上映します。アラブ世界の苦境を伝える2作品から世界の「今」をご体感ください。

『カーキ色の記憶』 14:00-、19:00-(2回上映)

『カーキ色の記憶』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2017 インターナショナル・コンペティション 山形市長賞受賞作品

監督:アルフォーズ・タンジュール/カタール/2016/108分

作品紹介:

「ここでなければ私はわたしではない」――。監督アルフォーズ・タンジュールが敬愛する作家イブラーヒーム・サムイールは、かつてダマスクスへの愛をそう語った。何年か後に、彼は愛したダマスクスを去った。イブラーヒームをはじめ、作品には4人の人物が登場し、故郷に対する複雑な思いを語る。ある者にとって、故郷はカーキ色に象徴される抑圧的な世界であり、またある者にとっては赤く染まった暴力的な世界である。この映画で監督は、生まれ育った場所を失うことへの例えようもない感情を描く。その苦い悲しみの表現は、観る者の心を捉え易々と離さないだろう。

 

『カーキ色の記憶』

監督のことば

私はイメージと、物語と、夢が好きだ。この知的で想像力に富む組み合わせは、長い時間をかけて現実を観察することから生まれる。

映画はイメージを用いて独自の世界を語る。その絵画的な表現は、夢を表現することに似ている。フェリーニの言葉を借りれば、「夢は唯一の現実」だ。

私は1970年代に生まれた。父親は共産主義者だった。当時のシリアのサラミーヤ――詩と、砂漠の乾いた空気と、マルクス主義の伝統を持つ街――では、それは普通のことだった。私自身は、バース党の集会に参加したことは一度もない。というよりも、いかなる政党の集会にも参加したことはない。私はいつも集会から逃げていた。そして街の小さな映画館に行くこともあったが、たいていはチェーホフやトルストイを読みふけっていた。私はゾルバとマルケスに感化された。ボードレールとヘルマン・ヘッセに夢中になった。私にとって読書は、現実から逃避できる美しい世界だった。当時の私は、これがきっかけとなって映画を学ぶことになり、真実を追究したいという強い思いが生まれるとは予想もしていなかった。

この映画の制作中に、私の身に起こった一番の驚きは、私自身がオーストリアに難民申請をしたときのことだ。祖国シリアでは毎日のように多くの人が殺されているのに、自分がこうして外国にいるのが信じられなかった。それは心に大きな傷を残すだけでなく、人道的な意識の面でもつらい体験となった。私はその思いから、弱さと戦うためにもこの映画を作ることにした。映画を作ることで、亡命、恐怖、それにもしかしたら郷愁に、正面から向き合うことを求めていた。

私はこの映画で、抑圧的なシリア政権下で生きる人たちの魂の叫びを届けたかった。長年にわたる沈黙、恐怖、暗い牢獄に光を当て、シリアで起きたこと、今でも起きていることのルーツを探りたかった。シリア社会の爆発を引き起こし、革命のきっかけとなった出来事の数々だ。

この映画は、さまざまな人々の物語を描いている。彼らは自分の身に降りかかる現実を運命と受け止め、日々生き残るために戦い、想像の中だけに存在する小さな勝利を喜び、そして多くの敗北、失望、苦悩を経験する。

この映画はシリアの物語だ。過去を提示し、そして未来を語っている。

アルフォーズ・タンジュール

 

『カーキ色の記憶』

 

『彼女の墓に花をそえるのは私』 16:10-(1回上映)

『彼女の墓に花をそえるのは私』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2007 インターナショナル・コンペティション上映作品

監督:ハーラ・アルアブドッラー、アンマール・アルベイク/シリア/2006/110分

作品紹介:

1981年に故郷シリアを後にしてから一度も帰郷が果たせぬハーラは、カメラを持つ若い友人アンマールと共にフランスで映画を撮り始める。25年間国外追放されている画家の夫の創作風景、祖国を離れたまま初老を迎えようとする女性の友人たちとの親密なインタビュー。客観的な視点を拒むかのように、極端なアップと手持ちを多用したカメラは自由に時空を滑空し、詩文と生活の中の詩心を発見しながら、故郷への愛を詠い、容赦ない時間の流れを哀悼する。

 

『彼女の墓に花をそえるのは私』

監督のことば:

1991年に亡くなったシリアの女性詩人ダアド・ハッダードの詩から――

わたしは探究に出かける。探るのだ。

小さなカメラをもって、《女友だち》を撮影する
わたしの小さなカメラを使って、《旅路》を撮影する
わたしの小さなカメラを使って、わたしを触発した《かの人たち》を撮影する

《女友だち》が向き合ってくれる
《旅路》が歩みの方向を決めてくれる
《かの人たち》が思考を導いてくれる

《女友だち》
わたしたちは女性4人
まだ50歳とまでいかないが、そう遠くはない
人生をまっとうするということは、夢を叶えることではないと、
わたしたちは、そしておのおのが語る。

《わたしの旅路》
旅路が、歩みの方向を決めてくれる
足が旅路に向かわせてくれる
わたしの映画の造作をスケッチする旅路
わたしの宙吊りの映画が舞台とする土地で終わる旅路
わたしの人生の旅路。

《かの人たち》
まだ作られずにいる映画に向けて、思考が導かれる
旅立たねばならない場へ、人は導いてくれる
会わねばならない人の元へ、導いてくれる
生みだすべき場を照らす光の中へと、導いてくれる。

ハーラ・アルアブドッラー
アンマール・アルベイク

 

『彼女の墓に花をそえるのは私』

 

[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp